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さだまさし弟の佐田繁理プロフィール&経歴!日本初プロサッカー選手後に社長へ?

2018.01.26

さだまさしさんの弟で佐田繁理さんのプロフィールや経歴が話題となっています。

佐田繁理さんは兄のさだまさしさんと似ているのでしょうか?

佐田繁理さんの画像が気になります。

さだまさしさんの弟で佐田繁理さんの現在の職業は「さだ企画」の社長。

さだ企画は兄のさだまさしさんの所属事務所です。

さだまさしさんの弟の佐田繁理さんの過去の職業は、なんと日本初のプロサッカー選手。

現在は子供たちのサッカーチームを立ち上げてきます。

ところで、さだまさしのさんの弟で佐田繁理さんが在籍していた所属していたサッカーチームはどこだったのでしょうか?

また佐田繁理さんが立ち上げたサッカーチームはどこなのでしょうか?

こちらでは、さだまさしさんの弟の佐田繁理さんが所属していたサッカーチーム名や現在のサッカーチーム名など佐田繁理さんのプロフィールや経歴。

そして現在社長を務める「さだ企画」の歌手はどんな人がいるのか?など調べた結果を紹介します。

さだまさしさんの弟の佐田繁理さんが社長を務める「さだ企画」には意外な人物が所属していましたよ。

それでは、さだまさしさんの弟の佐田繁理さんのプロフィールから画像を交え紹介します。

 

 

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さだまさし弟の佐田繁理のプロフィール!さだ企画社長は元プロサッカー選手だった?

 

出典:FCエルマーノ那須

 

名前 佐田 繁理(さだ しげり)

生年月日 1954年12月13日

出身 長崎県長崎市

高校 長崎南山高等学校

大学 国立台湾大学

職業 元サッカー選手・現在は「さだ企画」の社長

兄 さだまさし

血液型 B型

結婚歴 不明(結婚している可能性大)

さだまさしさんのプロフィールも簡単に紹介します。

 

さだまさしのプロフィール!弟はさだ企画社長の佐田繁理

名前 佐田 雅志(さだ まさし)

生年月日 1952年4月10日

高校 國學院高等学校

大学 國學院大學(法学部中退)

職業 シンガーソングライター・タレント・小説家

血液型 A型

結婚 1983年

子供 2人 (1男1女)

息子は2010年「TSUKEMEN」のメンバーでメジャーデビューした佐田大陸(さだ・たいりく)でヴァイオリニスト。

娘は2011年にピアノデュオ「Pretty Bach」のメンバーでメジャーデビューした佐田詠夢

佐田詠夢の夫はゴスペラーズのメンバーで北川陽一。

 

さままさしの弟と佐田繁理の生い立ち

さだまさしさんと弟の佐田繁理さんの家系は島根県那賀郡三隅町(現:浜田市)の大地主。

さだまさしさんと弟の佐田繁理さんの祖父は次男で名前は繁治さん。

(佐田繁理さんの名前は祖父から1文字もらっているようですね。)

佐田繁治さんは中国大陸での諜報活動や商工省の大臣秘書官を務めたことがあります。

佐田繁治さんの嫁はエンさん。

佐田繁治さんと嫁のエンさんの子供が、さだまさしさんと弟の佐田繁理さんの父親である佐田雅人さん。

佐田雅人さんは戦友であった妹の喜代子さんと結婚し長崎で暮らします。

佐田雅人さんと喜代子さんは2男1女を授かりました。

2人の長男はさだまさしさん。

次男は佐田繁理さん。

そして長女は佐田玲子さん。

さだまさしさんや佐田繁理さんの父親の当時の職業は林業商。

さだまさしさんと弟の佐田繁理が幼少の頃の自宅は豪邸で部屋が10部屋以上もあったのだとか。

しかし1957年の諫早豪雨の大水害により、父親の事業が失敗し小さな長屋暮らしとなったそうです。

 

 

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さだまさし弟の佐田繁理の経歴は?日本初プロサッカー選手?

さだまさしさんの弟の佐田繁理さんは中学になるとサッカーをはじめます。

佐田繁理さんがサッカーを始めたきっかけは、中学校にラグビー部がなかったからだそう。

しかし、佐田繁理さんはサッカー選手として開花していきます。

佐田繁理さんが進学した高校はサッカーの名門であった長崎南山高校。

高校ではサッカー部に入部し長崎県選抜に選出、九州大会に出場しました。

佐田繁理さんのポジションはフォワード。

1973年に高校を卒業すると、中国語を勉強するため台湾大学へ留学。

台湾大学でもやはりサッカー部に入部します。

すると佐田繁理さんのサッカーの実力がスカウトの目に止まり、1975年に香港のサッカーチームに入団することになります。

佐田繁理さんが入団した香港のサッカーチーム名は「東方足球隊」。

じつは高校時代にも現在のセレッソ大阪や現在の浦和レッズなどからスカウトがあったのだとか。

しかし、さだまさしさんや父親が断ってしまったため本人の佐田繁理さんは知らなかったのだそう。

 

海外プロサッカー選手としては奥寺康彦さんが有名ですが、じつは佐田繁理さんは奥寺康彦さんより2年早い1975年に香港リーグでプレーしていました。

香港リーグはアジアで一番古いプロリーグ。

当時は1、2、3部がありそれぞれ18クラブあったのだとか。

さだまさしさんの弟の佐田繁理さんが在籍していた東方足球隊は1部で、東方足球隊はその中の中堅クラスだったようです。

佐田繁理さんは日本初の海外プロサッカー選手、日本初のプロサッカー選手として有名なのだそう。

 

佐田繁理さんは東方足球隊との契約を1年間の期限付きにしたそです。

その理由は台湾大学の復学も考えていたからなのだとか。

サッカー選手としてのお給料は、台湾大学に在籍していたので受け取らず、お小遣いとしてオーナーから月に10~15万円を受け取っていたそう。

(当時の日本の大学初年給は7万円。)

ですが、試合に勝ち得点を決めると200万円のボーナスも貰っていたのだとか。

そんな好条件であったのにもかかわらず、佐田繁理さんのプロサッカー選手としての期間は8ケ月。

なぜサッカー選手を辞めてしまったのでしょうか?

その理由は兄であった、さだまさしさんとの約束を果たすためでした。

 

次ページでは、佐田繁理さんが出演した映画や佐田繁理さんの妹の画像、そして佐田繁理さんが立ち上げたサッカーチーム名を紹介します。

 

 

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