
手塚治虫さんが最後に過ごしたアトリエ(スタジオ)の場所はどこ?と話題になっています。
手塚治虫さんが最後に過ごしたアトリエが度々テレビで紹介されることから、「手塚治虫さんのアトリエの場所は?」「手塚治虫さんのアトリエの場所は新座なの?」と気になっている人が多くいるようです。
そこで、こちらでは手塚治虫さんが最後に過ごしていたアトリエの場所を詳しく調べてみました。
どうやら手塚治虫さんが最後に過ごしたアトリエは埼玉県新座市にあるようです。
また、こちらでは手塚治虫さんのファンからは新座のアトリエ(アニメーションスタジオ)と同じく聖地の1つとなってる手塚プロダクションの本社の場所も紹介します。
手塚プロダクションの本社の場所は高田馬場にあり、手塚治虫さんの息子と娘が取締役をしています。
手塚治虫さんのアトリエの場所を紹介する前に、まずは簡単に手塚治虫さんのプロフィールをお伝えしますね。
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手塚治虫のアトリエの場所や子供などプロフィール!新座スタジオはどこ?
手塚治虫「火の鳥」の構想原稿「大地編」を桜庭一樹が小説化https://t.co/fwAcAyFP4V pic.twitter.com/zLTCYEORAK
— コミックナタリー (@comic_natalie) 2019年1月24日
名前 手塚治虫(てづか・おさむ)
本名 手塚治(てづか・おさむ)
生年月日 1928年11月3日
出身 兵庫県宝塚市(出生は現在の豊中市)
アトリエ 新座スタジオ
手塚治虫さんは大阪帝国大学付属医学専門部に在学中の1946年1月に4コマ漫画「アマチャンの日記帳」でデビュー。
以降、「リボンの騎士」「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラック・ジャック」など子供から大人までが楽しめる漫画を描き、漫画の神様と評されました。
しかし残念ながら1989年2月に胃ガンで死去。
手塚治虫さんが生涯で描いた作品数は700作品以上と言われています。
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手塚治虫の結婚について,子供は息子1人と娘2人で手塚プロダクションの取締役!
手塚治虫さんが結婚したのは1959年10月4日。
結婚相手の名前は悦子さんで、血縁関係のない親戚とのこと。
悦子さんとはお見合いだったそうですが、幼少の頃に遊んだ仲だったのだとか。
結婚するまでのデートの回数は手塚治虫さんが人気漫画家で時間もないことから2回だけだったそうですよ。
結婚式は兵庫県宝塚市にある宝塚ホテルで挙げ、結婚後は悦子さんが東京に嫁ぐことになり3人の子供に恵まれました。
子供は長男として1961年8月に眞さん(本名:真)が生まれ、眞さんは現在ヴィジュアリストで映画監督や映像全般に関わるクリエイターとして活躍しています。
長女は1964年4月に生まれたるみ子さんで、プランニングプロデューサーとして活躍しています。
次女は1969年に生まれた千以子さんで、元劇団員だったようです。(現在の情報がありません。)
るみ子さんと眞さんは手塚プロダクションの取締役になっています。
じつは、手塚プロダクションの場所は手塚治虫さんのファンからは聖地と言われているんですよ。
つぎは、聖地と言われている手塚プロダクションの場所を確認していきましょう。
まずは、手塚プロダクションの新座スタジオから紹介しますね。
新座スタジオは手塚治虫さんが最後に過ごしていたアトリエの場所だそうです。
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手塚治虫のアトリエで新座スタジオの場所はどこ?
NHK探検バクモン『手塚治虫 最後のアトリエ』延期になっていた再放送、12/21予定です!✨💓😘 pic.twitter.com/TH0Z1WsCAo
— (公式)手塚治虫・ユニコ倶楽部 (@UNICOclub) 2016年12月13日
手塚プロダクションの新座スタジオが完成したのは1984年4月。
新座スタジオは4階建てで、1階は資料室、2階は制作部、3階には美術部や作画部があり、4階は仕上部となっています。
そして4階の一番奥には手塚治虫さんのアトリエがあります。
手塚治虫さんのアトリエは現在でも手塚治虫さんが仕事をしていた頃と殆ど変わりない状態で残されており、テレビ取材や雑誌取材が度々入るそうです。
それでは手塚治虫さんのアトリエが残されている新座スタジオの場所を地図で確認してみましょう。
手塚治虫のアトリエがある新座スタジオの場所の住所と地図
住所:埼玉県新座市野火止4-4-14
手塚治虫さんの人気漫画「鉄腕アトム」の主人公・アトムが新座市に特別住民登録された翌年の2004年4月から新座スタジオの最寄駅となる新座駅では駅のホームで電車が発車する時に流れる曲を「鉄腕アトム」にしたそうです。
新座市では様々な企画やイベントを共同で行っているそうで新座市商工会の正面玄関近くでは鉄腕アトムのグッズを販売しているようです。
手塚プロダクションで高田馬場(本社)の場所はどこ?新座スタジオ移転後に引っ越し?
現在の高田馬場にある手塚プロダクション本社に移転したのは1995年。
高田馬場には1976年に練馬区富士見台より移ってきていたのですが、当初は1階に喫茶店「つかさ」があるセブンビルに事務所を構えていました。
しかし事務所が手狭になってきたことから、1984年に新座スタジオを作り制作部を移転させます。
その後、1995年に本社も現在の場所に移転しました。
高田馬場にある本社には営業部やクリエイティブ部、そのほか著作権事業局や出版部などがあるようですよ。
それでは手塚プロダクションの本社の場所を地図で確認してみましょう。
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手塚プロダクションで高田馬場(本社)の場所の住所と地図
住所:東京都新宿区高田馬場4-32-11
新座市に特別住民登録したアトムですが、じつはアトムが生まれたのは高田馬場の科学省という設定。
ですので、JR山手線の電車が発車するときに流れる曲も「鉄腕アトム」なのだとか。
(新座駅は鉄腕アトムの曲がアレンジされています。)
高田馬場でアトムの特別住所登録をしても不思議ではなかったのですが、新座市の話によると、生まれたのは高田馬場だが制作は新座なので現住所は新座市だと押し切ったのだとか。
それだけ手塚治虫さんの漫画が愛されているということですね。
手塚治虫のアトリエの場所で新座スタジオはどこ?手塚プロダクション本社は高田馬場!で最後に一言
手塚治虫さんが最後に使っていたアトリエがある新座や、アトムが生まれた高田馬場のどちらでも鉄腕アトムで町が盛り上がっているようです。
高田馬場では手塚プロダクションが移転する前に事務所を構えていたビルの1階の喫茶店「つかさ」がとても有名です。
そのほか、アトムの顔の形をした栗まんじゅうなど、あちこちで鉄腕アトムグッズを見ることができます。
また、新座でも新座市商工会で鉄腕アトムグッズが購入できたり、アトム通貨なとどいうものもあるようです。
アトムの誕生日は4月7日ですので、その頃はイベントも多く開催しているかもしれませんね。
暖かくなったころにアトムで賑わっている町を散歩してみるのもいいのかもしれません。
以上が手塚治虫のアトリエの場所を調べた結果です。
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